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平成最後の芋煮会2018にご参加頂いた方々、ありがとうございます。
そして予定が合わずに参加できなかった方、申し訳ありません。

鍋奉行として四半世紀を過ごしましたが、50歳を超えたことと平成が終わりを迎えることが決まったことで、ここらで一区切りとさせていただくことにしました。

以下、芋煮会の思い出ですが、長いので読み飛ばしても、後の人生に影響ありません。

平成3年秋の第一回芋煮会は古文書の記録によると、
「芋煮会の本場、山形出身の飯塚夫人のご指導を仰ぐ。「ネギがないと味が出ない。」と厳しいご指摘により、以来イモは忘れてもネギは忘れるなが教訓に。この年、森居、久納、浅野、佐藤、菅家、縄田が相次いで結婚し、もてない男が一掃される。」
とあります。※懸念されていた私の結婚は、諸般の事情からこの時点ではまだ業務機密扱いでした。

鍋のレシピも、当初は本場山形流の芋・肉・ネギのシンプルな鍋でしたが、だんだんと我流になりキノコ類が増えてシイタケを天敵とみなす神谷さんからイジメないでと言われたりしました。

鉄板で焼きそばを作ったことも2回くらいありますが、酒肴の焼き物(七輪焼き)が加わったりして賑やかになり、逆に鉄板焼きは廃れて締めは鍋の残り出汁でのうどんに変化していきました。
参加する子供たちや美女も増えて、焼き芋とかおやつ、焼餅が入って、平成14年第10回から平成20年第14回あたりまでは、最盛期には40名超の参加があり、2かまど2鍋体制でのダブル鍋運用もありました。

が、芋煮会を語るには何といっても丸正の高級牛肉を抜きには語れません。私を含めこれ(だけ)を目当てに参加している人も少なからずいらしたことでしょう。
毎回、飯塚さんにはお言葉に甘えてポケットからかなりのご負担をいただいております点、あらためてお礼を申し上げます。
自宅からほど近い飯田橋のオフィスにはタクシーで10時出勤の頃でも、片道一時間以上かかる芋煮会には電車で9時半に登場されていたので、肉配送には仕事以上の精神的重圧があったと推察します。皆様、お買い物は丸正で。

当初の鍋のかまどは、河原にある大きな石を集めてやぐらを組んで作っていましたので、火を起こすまでの準備が大変でした。三本足の櫓に鍋を引っ掛ける方式でしたから、揺れて中身がこぼれて火が消えることも。
21世紀に入ったくらいの頃からカマボコをひっくり返した形のレンタルかまどができたので、用意も楽になり鍋も安定し、焼き芋も焼き物もやりやすくなりました。現地(あきる野市)はかまどと炭の料金で管理費を賄っているようですが、洗い場やトイレも改築されてきれいになり、芋煮会もそれなりに地元経済には貢献しました。五右衛門風呂焚きで鍛えた竹内さんがかまどの火の面倒を見ていただけたので、鍋はだんだんとお任せ状態になってきましたが、飲ん兵衛オジサンが多いので塩分控えめにするため最後まで醤油は少なめにこだわりました。

武蔵五日市の駅は平成8年頃に高架化されていまの新しい駅舎になる前は、木造の古い駅舎でしたが記憶にある人も少ないでしょう。ホリデー快速は相変わらず各駅停車ですが、SUICAの導入でそれまでの「青梅・五日市フリーきっぷ」というビール一本分くらい安くなる割引がなくなったためか、飲む量も減りました(?)。

子どもが参加しているときには、毎回一人は川でずぶ濡れになる(自然の水や土と戯れる)貴重な体験をしてもらっていたのですが、ここ数年は大人しくなりましたね。最後まで長谷川さんの模範遊泳が見られなかったのが残念です。

平成20年代に入る頃から、雨にあたることが多くなり、平成19・21・22・26・29年は雨で中止していますので、この10年間の開催率は5割です。毎回、週間天気予報が出てから開催日前日まではお天気のことが気になって、仕事中もしばしば天気図を眺めたり予報を調べたり。特に資材調達のお願いをしても野菜類は雨で中止になると自家消費せざるを得ないため、中止の際には数多くの方にご迷惑をおかけしています。

最後の芋煮会も直前まで台風が来たりしてお天道様のご機嫌が気になりましたが、結果的には暑くも寒くもなく日差しもない、最高にいい感じの一日であったので、ほっとしております。

これまで、芋煮会に参加して盛り上げていただいた方々には、平成時代を貫く記憶としてとても良い機会を作っていただき感謝しています。

芋煮会の詳しい歴史を知りたい人や暇な方は、こちらをどうぞ。

芋煮会開闢以来の歴史

最初の頃は企画して案内出して資材割当して・・・コピーとFAXで連絡していましたので、連絡の便宜を図る上でニフティにホームページ開設したのが平成13年(第9回直前)でした。
その後、サーバを変えてドメイン名を取得したり、テンプレート変えたり、スマホ対応を図ったりして、これのお陰でインタネットのサイト運営にはかなり詳しくなれました。
世界的に見てもHPを持っているのは、山形の日本一の芋煮会フェスティバルとAsahi芋煮会だけだと自負しておりますが、最近はFacebookなどの便利な媒体が増えたので自前ホームページの形式は既に古い技術と化していますが、ブログ形式は一つの安定した運用方法として確立されています。
芋煮会ホームページとドメインimoimo.infoは時折メンテするだけですが当面は残しておきます。気が向いたら、過去の写真などを使ってデザインを変えたいのですが、たぶんそのままでしょう。鍋無精。

PS
最後のお土産に持って帰った焼き芋は台の上に置いていたのですが、気が付いた時にはアルミホイルと皮だけに・・・。

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隠居鍋奉行 縄田直治

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